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【過去ログ】ヤフーと仲間への感謝。私が独立しようと思ったワケ。

※このブログは2016年のアーカイブです。

2016年6月22日をもって、13年お世話になったヤフーを退職し、中小企業診断士として独立することになりました。
「お前、本当に食っていけるのか?家族は大丈夫か?」
と興味深々の方が多いようなので、これから人柱として実験台に立ち、公開していきます(笑)

ヤフーの仲間は最高でした!

スキルが高い多くの仲間に囲まれ、ヤフーでインターネットビジネスの「A to Z」を学ぶことができました。
ヤフーと社員の皆さんには、感謝の言葉しかありません。
こんなに迷惑かけて旅立つ自分を、温かく見送ってくれる。もう涙でまくりです。

ヤフーの思い出

私が30歳の時。2003年、私はヤフーにデータベースエンジニアとして入社しました。

それまでは池袋の雑居ビルで、5年間、プログラマーとしてションボリ働いていました。
安い単価でつまらない仕事ばかりさせられ、ブラック&ブルーな毎日でした。
もちろん、プログラミングを全く知らなかった自分を新卒採用してくれたこの会社には、今でも感謝しています。

ある晩、池袋でヤケ酒を飲んでました。
帰宅後、酔っぱらいながら、ヤフーTOPページの下にある「中途採用」のリンクからシレっと応募したところ、なんとびっくり!本採用(笑)
雑草みたいな男で、4回の面接もボロボロだったのに、よく採用されたものです。今もって謎だらけ。

最終面接は、前社長の井上さんでした。社長室に通された後、もうビビりまくっている自分に
「おい、もっと楽にしていいぞ。俺も上着を脱ぐからリラックスしろよ。」
と言ってくれたのは、今でもよく覚えています。
昔の人事部長のKGさんも同席して、横でずーっとニコニコされてたのも覚えています。

なお、私を採用してくれたKMさんは今や本部長になり、ヤフー入社時から退社時まで本当にお世話になりました。
私と家族の人生を変えていただいた恩人です。

そして来ました。2003年4月1日のヤフー転職初日!
勤務地は、できたばかりの六本木ヒルズ。
まさに天にも昇るような気持ちでした。

2003年のヤフーは、まだ社員数600人の会社でした。
当時のヤフーは、1つのサービスを3人(開発・制作・企画)で立ち上げ、なおかつ1人が3サービスを担当するという超ブラック・・・もとい、アグレッシブな状況でした。
路線・地図・グルメを1人のエンジニアがサーバーを構築し、コードを書き、保守運用する。夜中にシステム障害対応の電話がかかってくることは日常茶飯事。
しかし、何百万のPV(ページビュー)を自分ひとりで捌いているという充実感。
このモチベーションで、1日の大半を会社で過ごしていました。

「ExciteとGooの辞書を倒せ!」を目標に、OSさんとYahoo! 辞書を立ち上げた時は今でもよく覚えています。
そのあと、ライブドアにUI(デザイン)のすべてをパクられてビックリしましたが、逆に社会から認められたんだなあ、とニヤニヤしました。

そんなヤフーも今では社員数も10倍に増えて、大企業になりました。
当然ですが、個人プレーから組織プレーになったわけです。
企業が成長していく姿を現場で経験できるなんて、人生で何度もありません。

ベンチャー企業が成長する上でどのような問題がおき、逆に大企業になるとどのような問題がおきるのか。
PCでは圧倒的に強いヤフーが、スマホの登場という外部環境の変化に直面し、イノベーションジレンマをどうやって打破してしていったか。
組織慣性を打ち破り、新たなビジョンを提唱し、組織文化を変えてきた。
アプリ開発エンジニアを育成し、ヤフーTOPのタイムライン化でマネタイズを強化した。
オフショアまでやっちまった。
何だかんだで、普通の会社じゃココまでできないですよ。

ヤフーでのキャリアをまとめると
「開発・運用・セキュリティ対策・新規事業・経営管理・事業戦略・技術営業」と、インターネットビジネスの様々な職種を網羅することができました。
あと「人事」があればフルコンボだったけどね。

なので、私はアポの際、自己紹介の最後に
「このように、ネットビジネスを “点” ではなく “面” で考えることが強みです」
と良く話します。
社長さんが「なるほどね」と頷いてくれれば、つかみはOKです。

ヤフーでたくさんの機会をいただけたから、こういうアピールができる。

だから、私、ヤフーに感謝しています。
感謝というより、大好きです。
ヤフーグッズのコレクションを見てもわかるでしょ?

エンジニアから経営へのキャリアチェンジ

もともとはインフラ系のWebエンジニアだった自分に、2010年、ある転機が訪れました。
非常に優秀なエンジニアが私の部下として入ってきたのです。
「こいつには勝てない。40歳、50歳になった自分は技術で食えるのか。」
と悩んでいた時、ブックオフで目に止まったのが「中小企業診断士」という資格本でした。

この本には、経営戦略・組織・人事・マーケ・財務会計・生産管理・店舗運営・経済学・経営法務など、単なるシステム屋として生きてきた自分にとって、目からウロコの内容でした。
「売上 – 費用 = 利益」なんて当たり前のことすら、考えてなかったから。
P/LといえばPL学園を思い出す、そんなレベル。
どんだけ無知だったんだオレ?と痛感。
「これだ!エンジニア出身の経営コンサルとして差別化しよう」と決意した瞬間でした。

その後、ひたすら勉強し、3年かかって中小企業診断士の試験に合格したのが2015年。
3年目はさすがに辛かったけど、2次試験に合格した時は10年ぶりに涙しました。全部で1400時間くらい勉強したかな?

余談ですが、私が太ったのは、実はこの時。
それまではフルマラソンとかバリバリ走っていて、北海道マラソンや長野マラソンに遠征していたくらい。
朝と夜のトレーニング時間をすべて診断士の試験勉強に振り切ったので、この3年間で体重が20キロも増えてしまいました。

そして会社でも事業戦略の仕事にアサインしてもらい、知識と実践を地道に積んでいきました。
中小企業診断士のお客様は社長や経営幹部なので、ヤフーの本部長や経営層の方と一緒に仕事ができたのは本当に貴重な経験です。

2015年に診断士に合格した後は、東京都中小企業診断士協会の城北支部に入会し「城北プロコン塾」で実践的なコンサル技術を1年間勉強させていただきました。

プロコンってのは、プロのコンサルタントって意味。つまり、独立して食っているコンサルのこと。
バリバリ活躍している先生方や、プロコン塾の同期との人脈もでき、診断士としての稼ぎ方が何となくわかってきました。

あと、ヤフーは副業OKの会社で、人事に申請したところ許可をいただきました。
旧友や知人の伝で、Webマーケや越境ECの案件もいただいて、社外でコンサル活動を始めました。
最初の1本を紹介してくれた旧友には、今でも本当に感謝しています。

提案書・見積書・契約書・請求書の書き方なんて自力でやったことがなく、失注も2回ばかり経験しました。
会社での失注と違い、独立している場合は生活に直結するので、精神的なダメージがデカいしヘコみます。
それでも、失敗しながら生々しい体験ができました。
「契約書はお金を受け取る方がドラフトを作る」なんて常識も、恥ずかしながら知りませんでした。

本職のヤフーでもデータビジネスのコンサル職に配属されたので、顧客をつかむ事の難しさ、顧客に感謝された時の喜びを、社内と社外でダイレクトに感じました。
ああ、営業ってこういうことなんだ、とイメージが出来たわけです。

ここまできて、私もやっと「見習いコンサル」になったとさ。

資格を馬鹿にするなかれ

私はエリートではないので、どうしても自分の武器がほしかったのです。
ですので、中小企業診断士を始めとして、システム監査技術者などの資格も色々もっています。

もちろん、コンサルの現場で「中小企業診断士です!」なんて言っても食えないのは当たり前。
ホームページを作っても、Web経由でコンサル依頼なんて来ないこともわかりました。
だから、ホームページは2ヶ月かけて自力で作ったのに、その後1年更新しませんでした。
独立して最近更新し始めたけど、PVなんて限りなくゼロに近くてネットで認知されいません。まあそれでOK(笑)

話を戻すと、求められるのは
「人脈」「信頼」「専門性」
これだけです。信頼というのは「人間性」にも置きかえられますね。

資格を持っていると、このうち「人脈」が強くなります。
ヤフーで出会った専門家、中小企業診断士や他士業の人脈は、今でも最強の武器です。

また資格によって「信頼」も担保できます。
国家資格の中小企業診断士は、何といっても親方日の丸、経済産業大臣認定ですから。
「診断士とかいう資格もってるらしいし、悪そうなヤツじゃないから話は聞いてやるか」くらいにはなります。

つまり、資格はドアノックツールです。
最初の扉を開けられなければ、どんなに高いスキルを持っていても、独立だと食えません。
会社にいれば資格は不要ですが、独立した時にはとても有効です。

「専門性」これは完全に自分の努力。常に磨き続け、セルフブランディングも必要。
○○の案件なら大森さん、と言ってもらえる様になることが目標。
私の場合、今後は「好きなこと、得意なこと」に徹底してこだわります。

逆に言えば、お話や執筆が得意な社長さんには
「Web集客を考えるなら、社長さんご自身がコンテンツですよ。社長さんのブランディングもやりましょう。」
なんてよく言います。
そうすると、社長さんは「それはいいね!」と目が輝きます。私もやる気がドーンと出るわけです。

あと、資格は一生逃げません。
苦しい時に、自分を助けてくれます。まさに「今」がそうです。
資格をもっていることで「この人は努力できる人、向上心がある人だ」とイメージづけることもできます。

このように、とりあえずの武装はできたわけです。
ただ「刀の切れ味」こそが大切なのは言うまでもありません。

つまり「資格は役に立つけど万能じゃなくて、最後は本人の実力次第」ってことです。
だからは私は、中小企業診断士の大森良夫です、とあまり言いません。
そんなものは業務経歴書を見れば事前にわかるし、資格を前面に出すと実力がないように見えるからです。

なぜ独立なのか

繰り返しですが、私はヤフーが大好きです。
ヤフーにいながら副業して、ハイブリッドに生きようと思ってました。
でも、副業だと、例えば「平日13時にMTGしたいので、大森さん来れますか?」というリクエストに応えられないのです。

また、前述の「城北プロコン塾」で独立して頑張っている仲間からも、大きな刺激を受けました。
みなさん、輝いているんです。見ていて、超かっこいい。

ヤフーにしか出来ないことがあります。
こんなに社会に影響力をもつ会社は、そう無いです。

しかし、私は(やる気のある)中小企業を支援したい。
日本の企業の99.7%は中小企業。日本の毛細血管であり、宝です。

大手企業へのコンサル営業ではヤフーのメンバに勝てなかったけど、中小企業の社長さんとは意外と話が盛り上がることもわかった。
こっちなら、自分でも勝てるんじゃないか。
ヤフーがまだ完全にリーチできていない中小企業というロングテールに、私自身が貢献できるのではないか。
そんな、社会貢献の想いが徐々に強くなりました。

そして、中小企業が相手ですから、最先端のテクノロジーは必ずしも要求されません。
むしろ、基本の積み重ねの方が、圧倒的に大切です。

診断士は、いうならば「小学校の先生」です。
生徒の個性(強み)を見抜き、基礎をしっかり教え、問題の解き方を教え、自分の力で勉強できるようにする。
私はいつも、こう考えて仕事しています。

難問が出てきたら、それはその道のプロに協力を仰げばよい。
ここは素直になりましょう。自分で幅広く勉強することも重要ですが、そこに課題がある場合は時間がありません。
(自分の専門領域を常に勉強することは当たり前)
だから大切なのが、専門家との人脈です。

私の役目は、ベクトルだけは絶対に間違えてはいけないこと。
経営資源がない中小企業にとって、投資はリスクそのもの。
1戦1戦が負けの許されない戦いなので、私も必死に市場や敵を分析します。
過去の経験を生かした引き出しを駆使してメリデメを提案し、社長のコミットを得ます。
非常にスリリングです。負ければ、契約を切られてしまいますからね・・・。

また「43歳という年齢は独立するには良い歳だ」と、大先生からアドバイスをいただきました。
社長や経営幹部がクライアントですから、独立する年齢が若すぎても高齢でも良くないのです。
自分が50歳を迎える頃にしっかり基盤を作るためにも、43歳という年齢は非常に良いタイミングなのではと感じました。

「会社を辞めて独立しよう。でも今のままじゃ食えない。」
と悩み始めたところ、前職の恩人から、週3日の常勤の仕事をいただけたことも幸運でした。
ヤフーに退職の意思を伝えた後に、新たなクライアントからも顧問契約をいただけたので、何とかなるかな、とラッキーが重なりました。

気がつけば、独立初日から、時間に追われる毎日が始まりました(お金になっているかは全く別として)
ヒマになると、たぶん自分の場合は恐怖に陥るんだろうな・・・ガムシャラに頑張ろう。

あと、9月にヤフーが移転する紀尾井町の新オフィス。
ここに「コワーキングスペース」が出来るとのニュースが、ヤフー退職の前日にプレスリリースで出た。
何じゃこれ?と思ったら・・・
社外の人間でも、ヤフー社員と一緒に仕事ができるスペースができる!
おお!これならヤフーの仲間と一緒にコラボできるじゃん!
よかったー。またヤフーのみんなと会える場所ができる!

「退職します」ってヤフーに話したときは不安で一杯でしたが、その後の2週間でラッキーがいくつも重なりました。

今後のことは全くわかりませんが、ここ最近に限っていえば本当に幸運でした。

家庭の状況

私には子供が2人いて、中学受験を目指して頑張っています。
メチャ高いんですよ・・・塾の授業料が。。。
進学塾に小4から小6まで行かせると、総額250万くらい。
私立中に入れると、毎月10万くらいの教育費が必要です。
2人いると、この2倍。

なぜ、中学受験をさせてるのか。子供本人の意思もあるけど、親としての私の考えは2つです。

(1)必死で努力して勝ち取ることの尊さを学んで欲しい。
(2)一生の友人にめぐり合って欲しい。

なぜ3年も診断士試験にチャレンジできたのか?
私が昔(1)を学んだから。

なぜ診断士として独立する決意を固められたのか?
中高時代の友人(2)に、最初の案件をいただき、士業の仕事を教えてもらったから。

話が反れたのでお金の話に戻すと「ごめん、金がないので私立は無理だ」なんて絶対に言いたくない。
正直なところ、ヤフーにいて副業しても稼げるのですが、親としてもチャレンジする背中を見せたい。
そんな父としての想いもありました。

サラリーマンって、本当に恵まれています。
ヤフーの皆さんは気づいていない方も多いと思いますが(失礼)
でも独立すると、今までと同じ手取りをキープするには、1.5倍くらい売上げないといけない。
そんな事も考えながら、リスクとリターンを電卓ではじいていました。
サラリーマン時代には、考えたこともなかったです。

最近、家族が体調不良になり、ちょっとした家庭内の問題がありました。
そのため、ある程度、自分のプライベートな時間をキープする必要も出てきました。
独立を考える際に、そのような背景もありました。

迷ったらワイルドな方を選べ

ヤフーの宮坂さんは「迷ったらワイルドな方を選べ」とよくお話されます。
ヤフーで副業しながら診断士を続けるか、あるいはプロコンとして独立するか。
で、迷ったので、ワイルドな方を選ぶことにした(笑)

ご縁の不思議

そして独立の道を決意したのですが、奇遇にも最初の仕事は、先に書いた「私の人生を変えた優秀なエンジニア(元部下)」とのコラボです。
人脈って大切。めぐり合わせは不思議。
でも、ビジネスってご縁の連続だと思うのです。

これからもよろしくお願いします!

自分なりに、この4年間で出来るだけの準備はしました。
「人脈」「信頼」「専門性」の3つが満たされれば失敗するはずがない!
そう信じて、次の道を進んでいこうと思います。

自分で作った事業計画を達成できないようなヤツが、クライアントに経営戦略や中期計画をコンサルするなんてアホですからね。
だから、自分が成功しないと説得力がない。

でも、一人で生きていけないことも良くわかりました。
ですので、これからも皆さんから謙虚に勉強させていただきます。

本当にありがとうございました!
みんなも目標に向かって、頑張って!

エピローグ

ということで、今後は

非常に実践的な、どこでもオフィス

の毎日となります(笑)

※どこでもオフィス = ヤフーの在宅勤務制度

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